戦争の話(23)

<橋爪一郎従軍記>

   南京への巻

 支那へ這入ったとたんに、夏のかまえのスッカラカンになりましたので、たまったものではありませんでした。汽車の中でも夜はぐっと冷えこんで、みんなブルブルです。一かたまりになって、体を体でぬくめているうちに汽車は南へ南へと走りました。窓ごしにチラホラ見える外の景色は、だんだんと風変わりになって、最後についたのが南京でした。日記文によると、南京着三月二十九日ですから、まるまる九日間を汽車の箱の中だけですごしたわけでした。

 南京では、初めて見る揚子江(ヨウスコウ)の大きさに先ずびっくり、この川を舟でわたって、ここに四月十日までの十二日間を体ならしですごしました。鉄砲をもらい、鉄かぶとをもらい、ここで、すっかり戦争の用意が出来上りました。けれども残念なことには、鉄砲の中の半分は日本製ではなく、支那兵のもっていたもの(ぶん取り品)でした。鉄かぶとも全員分はなく、一等兵以下は持ったり持たなかったりのあわれさでした。鉄砲は的をねらっても、丸(タマ)は、全然的はずれ、音だけは大きくて、どっちの方へ飛んでいるのかさっぱりわからないといった有さまです。この頃は、日本は負け始めていたことになりますが、それでも私たちは、ヤマトダマシイで絶対に勝つ覚悟でいました。

 南京で、とくに印象に残りますのが、米がもち米であったこと、支那人(苦力クーリー)の臭かったこと、何とか大尉が飛び下りたという光華門(?)の城壁の高かったことなどです。

 所で私たちは、まだ行先きを知らないままです。

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(学級通信、1学年連載終わり)

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