戦争の話(20)

<橋爪一郎従軍記>

   まっ白い兵隊さんの巻の(1)

 牡丹江(ボタンコウ)の原っぱでの一ヶ月はつらいものでした。0(レイ)下三十度の日もある二月の末で、土の上にごろね、家は布の天幕ですから夜はたまったものではありません。幸いに伍長ですから天幕のまん中の炭火のそばにねて、わりといばったものではありましたが。雨は絶対に降りませんので毎日が戦争のけいこばかり、歩けば寒いので、大てい走りまわります。疲れて帰えれば夕飯とねる事が楽しみ、風呂は全然ありません。ねると言っても、服のまま、時には靴のままですから誰もがよごれっぱなし、不衛生な話です。でも後で考えると、ほんとうの戦争そっくりの生活でしたので、ためになる一ヶ月だったわけです。

 三月にはいって、何もかもまっ白い服になってしまいました。帽子から靴から鉄砲まで、馬も馬車もまっ白い布をかぶって、完全白色です。はげ山では人も物も雪に見え、くぼみの雪山では何にも見えません。まっ白の兵隊の、まっ白い雪山を見つけての演習が何の目的であるか、さっぱりわかりません。そのうちに誰言うとなく、北海道へ行くげな、千島列島げな、樺(カラ)太げな、さてはシベリヤ突入だ、日本軍全滅のアツッ島うばい返しだと、うわさはいかにも本当らしくひそひそ話をしたものです。私はひそかによろこびました。「北の方はまちがいなし。」「北へ行くのに危い海を舟で行くはずなし。」すると「必ず日本を通って北の国のどこかへ行くはずである。」「よし、それなら手紙をうんと書いてためておこう。」(その頃、手紙は禁止されていました。)「もう一度、日本を見る事が出来るのだ、バンザイ。」その頃から、私と同じ考えらしく、こっそり何かを書いてはひとり笑いをする精神病見たいな者がふえました。

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