<橋爪一郎従軍記>
命か花かの巻
満州の春と秋は、冬と夏にはさまれて、びっしゃげています。ようやく氷の大地がとけたかと思うと、春、そして、またたくまに夏がやきついて来ます。忙がしいのは草花で、あっというまに芽が出て、つぼんで、サッと開かなければ夏の太陽にやけしぼんでしまうわけです。どの草もどの花も先をきそうて咲き乱れて一面の大花園、少し大げさに言えばどこかの国の御殿のお庭とでも言えそうな夢の国が満州の春、満州の秋でした。色とりどりの名も知らぬ花にまじって、まっ白のスズランにまっ白のインチュホワ(迎春花)は何よりもかわいいものでした。背の丈20センチぐらいの山ゆりに10センチもあるようなラッパ形のまっ赤な花がゆれているのはとても印象的でした。そんな美事な大自然の花畑の中で、いつものように戦争のけいこがくり返されていきました。「前進!!」「止れ」班長の号令一下、私たちは一目散に走り出したり、パタッとねたり、又走ったり。私は足もとのスズランのあまりのかわいさに、バタッと倒れなければならない所を、静かにそっとねていました。「コラッ!!橋爪一等兵!ここは学校じゃないぞッ!!」私が先生であったことはみんな知っていました。「花が大事か、命が大事かッ?」そしてボカボカボカッとたたかれて、くやしさで胸一ぱい、近くの一等兵は、声を立てずによごれた歯で笑っています。小さい心で、足でふみにじったスズランをかわいそうに思いながら、「花か命か、花か命か」とくり返しましたが、忘れられない満州の花畑です。